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【介護体験記 第2章 #20】少しずつ、でも急激に変わっていった父【食事の変化編】

父の介護記録

こんにちは。
50代独身、実家暮らしのいさこです。

父の介護体験を振り返る「介護体験記 第2章」

今回は、父の食事の変化について書きたいと思います。

▶前の記事(少しずつ、でも急激に変わっていった父【歯磨きの変化編】)

認知症になっても、しばらくは自分でご飯を食べていた父。

それが少しずつ変わっていきました。

最初はほんの小さな変化。

「最近、食べ方がちょっと雑になったな」

そのくらいだったんです。

でも、気がつけば食事の最後を手伝うようになり、そして最終的には、一口目から食事介助が必要になりました。

今回は、そんな父の食事の変化を振り返ります。

ご飯粒一粒も残さなかった父

父は、昔からとても几帳面な人でした。

とくに食事の仕方はきれいで、ご飯粒を一粒も残さない人。

わたしが子どものころ、お茶碗にご飯粒が残っていると、

「ご飯が残ってるぞ」

と、よく注意されていました(笑)

魚もそうです。

食べ終わったお皿を見ると、骨だけがきれいに残っている。

それくらい、きれいに食べる人でした。

そして、わたしは子どものころ、魚があまり好きではありませんでした。

というより、魚は骨があるので食べづらかったんです。

そんなわたしを見て、父はいつもわたしの分の魚の骨を取ってくれていました。

身だけにして、

「ほら」

と渡してくれる。

今思えば、父はお箸の使い方がとても上手だったんですよね。

そんな父の食事の姿を知っているからこそ、その後の変化にはすぐに気づきました。

少しずつ、食べ方が変わっていった

認知症が進んでいくと、食べ方にも変化が出てきました。

以前ならきれいに食べ終わっていたお茶碗に、ご飯粒が残っている。

おかずも、満腹になって残したというより、途中で食べるのをやめてしまったような、少し雑な残し方をするようになりました。

でも、自分で食べられているうちは、なるべく手を出さないようにしていました。

……口は出していましたけど(笑)

「お父さん、おかずまだ残っているよ」

なんて声をかけながら。

まだ自分で食べられる。

それなら、できることは自分でしてもらいたい。

そんな気持ちがありました。

食事中の集中力が続かなくなった

さらに変化していったのが、食事中の集中力でした。

途中から食べることに集中できなくなってきたんです。

お箸で遊びはじめたり、

麦茶の入ったコップに手を突っ込んでみたり。

そのたびに、

「お父さん、ちゃんとお箸持って食べて」

と声をかけたり、持ち直させたり。

麦茶に手を突っ込んでしまえば、汚れた手を拭いてあげる。

手が滑って、お茶をこぼすことも増えました。

茶碗をひっくり返してしまうこともありました。

そんなことを繰り返しているうちに、当然、食事にも時間がかかるようになります。

父が食べ終わらないので、食器を片づけることもできません。

そこで、母が自分の食事を終えたあと、父の食事を手伝うようになりました。

最初は、あくまでも「手伝う」という程度。

父が自分で食べる。

ちょっと手が止まったら声をかける。

食べやすいように手伝う。

そんな感じでした。

それが、気づけば最初から食事介助に

ところが、それも少しずつ変わっていきました。

最終的には、一口目から食べさせなければ食事ができないくらいになりました。

毎食です。

食事のたびに介助が必要になるので、家族の負担も当然大きくなりました。

でも、父の場合、ひとつ助かったことがあります。

それは、

食欲だけはあったこと。

口元に食べ物を持っていくと、大きな口を開けて食べてくれるんです。

介護の仕事をしている人なら、わかってもらえると思います。

食事介助をしていると、なかなか口を開けてくれない方もいます。

それでも、どうにかして食べてもらわなければならない。

そう考えると、父の食事介助は、もしかしたら「ラクなほう」だったのかもしれません。

もちろん、毎食介助するということ自体は大変でしたけどね。

食事介助は「ただ食べさせる」だけじゃない

わたしは介護の仕事をしていたので、食事介助についてはある程度わかっていました。

食事介助って、ただ食べ物を口に入れてあげればいいというものではありません。

食べるスピード。

噛む力。

飲み込む力。

その人のようすを見ながら、食事を進めていかなければなりません。

家族の食事介助でも、それは同じでした。

父の場合、食べやすいように食材を小さめに切る。

魚はできるだけ骨なしのものを買う。

骨がある魚の場合は、毛抜きを使って骨を取ってから出す。

そんな工夫もしていました。

父は歯が丈夫だったので、なんでも柔らかくすればいいというわけではありません。

高齢者だからといって、全部を柔らかくすればいいわけでもないんですよね。

もちろん、これはあくまで父の場合です。

父は歯が丈夫だったので、食材を必要以上に柔らかくすることはせず、基本的には家族と同じものを食べていました。

毎食の介助は、やっぱり大変だった

最終的には、家族の手を借りないと食事ができなくなった父。

こうやって文章にすると、サラッとしていますが……

毎食のことですからね。

食事を作る。

父が食べられるように準備する。

食事を介助する。

食べ終わるまで付き添う。

そして片づける。

それが毎日、毎食。

介護というのは、特別な一日だけ頑張ればいいものではありません。

「今日だけ頑張れば終わり」ではなく、同じことが明日も続いていく。

だからこそ、大変だったんだと思います。

そんな中で、わたしたち家族が救われたことがありました。

それは、父に嫌いな食べ物がなかったことです。

「お父さん、嫌いな食べ物ある?」

認知症になっても、まだ父と会話ができていたころ。

わたしは一度、父に聞いたことがあります。

「お父さん、好きな食べ物ある?」

「・・・・・・」

考えているようだけど答えが出てきません。

「じゃあ、反対に嫌いな食べ物は?」

すると父は、少し考えてから、

「なか」と答えました。

「ない」という意味です。

父は戦時中に生まれ、戦後の食べ物がない時代も経験しています。

だから、

食べられるだけで幸せなんだ。

そんなことをよく言っていました。

だからなのか、本当に好き嫌いがありませんでした。

料理をする側としては、これはとても助かりました。

何を作っても食べてくれる。

食べられるものが限られているわけではない。

それだけでも、介護をする家族にとっては大きなことだったと思います。

父の「きれいに食べる姿」を思い出す。

ご飯粒一粒残さなかった父。

魚を食べれば、骨だけをきれいに残した父。

わたしが魚を食べられずにいると、骨を取って身だけにしてくれた父。

そんな父が、認知症になり、少しずつ食べ方を変えていきました。

ご飯粒が残るようになり、

おかずを途中で残すようになり、

お箸で遊ぶようになり、

食事に時間がかかるようになり、

最後には、自分ひとりでは食事ができなくなりました。

「少しずつ変わっていった」と書きましたが、振り返ると、変化は急激でした。

昨日までできていたことが、今日はできなくなっている。

そんなことが、介護をしていると何度もありました。

それでも、その変化の中で、父が最後まで持っていたものがあります。

そのひとつが、

「食べること」への力だったのかもしれません。

口元に食べ物を持っていけば、大きな口を開けて食べてくれた父。

そして、昔から変わらなかった「食べられるだけで幸せ」という気持ち。

今振り返ると、できなくなったことに目が行きがちです。

でも、できなくなったことだけじゃなく、

まだできていること。

まだ残っているその人らしさ。

そこにも目を向けていたい。

父の食事介助を振り返りながら、そんなことを思います。

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