こんにちは。
50代独身、実家暮らしのいさこです。
脳梗塞のリハビリをわずか2か月で終え、母が退院してきました。
家に母がいるようになって、また少し落ちついた日常が戻ったように見えていました。
けれど、そのころには父の認知症が確実に進行していたのです。
父が徘徊した日
その日は、家族が仕事なので不在にしており、家には父と母の二人だけでした。
母がソファーでうとうとしていたとき、父は家を出て行ってしまったそうです。
目を覚ました母は、いつもテレビの前に座っている父の姿がないことに気づき、あわてて探し回りました。
家の中にはおらず外に出ると、少し前を歩いている父の姿が見えたそうです。
「お父さん、どこ行くと!」
そう声をかけても、父はまったく気づかなかったと言います。
母は追いかけようとしたそうですが、そのときの母は脳梗塞の後遺症で半身まひがあり、リハビリでようやく歩けるようになったばかりでした。
しかも数か月前には心筋梗塞も起こしており、少し歩くだけでも息切れする状態だったのです。
そんな母が、必死になって父を追いかけ、ようやく追いついたと聞かされました。
あとからその話を聞いたわたしは、母に負担をかけてしまったことが申し訳なくてたまりませんでした。
でも、仕事で家を空けなければならない時間もあり、どうしようもない現実もありました。
今回は何事もなく帰ってこられたからよかった。
けれど、認知症のかたが徘徊の末に事故にあったというニュースを見るたびに、「他人事ではない」と感じるようになりました。
目を離せないというプレッシャー
このころの父は、認知症ではあっても、すべてに介助が必要な状態ではありませんでした。
自分でできることもまだたくさんありました。
だから今ふり返ると、介護の負担そのものは比較的軽かったのだと思います。
ただ、「目を離したら何が起きるかわからない」というプレッシャーが常にありました。
身体的な介護だけが大変なのではない。
精神的に張りつめ続けることも、介護の大きな負担なのだと感じていました。
はじめての失禁
そんなある朝、母に寝室へ呼ばれました。
「お父さん、オシッコ漏れてる」
父はまだ眠っていて、布団をめくるとシーツもパジャマも濡れていました。
本人はまったく気づいておらず、ぐっすり眠ったままでした。
それまで父は、認知症になっても尿意や便意を感じれば自分でトイレへ行けていました。
だから、失禁するとは思っていなかったのです。
そのままにしておくわけにもいかず、父を起こしてパンツを脱がせ、お尻をタオルでふき、新しいパンツをはかせる。
母と二人で何とか着替えをすませました。
そのとき、「こうやって少しずつ手がかかるようになっていくんだな」とあらためて実感しました。
紙パンツをすすめる葛藤
それまで父は普通のトランクスをはいていました。
今回のことをきっかけに、紙パンツ(リハビリパンツ)を考えようかと母と相談しました。
ただ、わたしたちは介護をするとき、父の尊厳を守ることを大切にしていました。
昔気質でプライドの高い父が、紙パンツを受け入れてくれるだろうか。
それが一番心配でした。
でも、漏らしたあとの着替え、シーツ交換、そしてベッドマットまで濡れていて乾かすのに苦労したことを思うと、何か対策が必要でした。
ドラッグストアへ行くと、お試し用の2枚入りがありました。
最初から大容量を買わなかったのは、父が受け入れてくれるかわからなかったからです。
家に戻り、わたしは言葉を選びながら父に話しました。
「お父さん、このパンツ買ってきたんだけど、これ使い捨てだから、汚れても気にしなくていいからね」
「紙パンツ」ではなく、「パンツ」という言葉を強調して。
拍子抜けするほどあっさりと
ところが、そんなわたしの心配とは裏腹に、父はすんなり受け入れてくれました。
拍子抜けするほど、なんの抵抗もありませんでした。
たぶん認知症が進んでいて、トランクスと紙パンツの違いをあまり意識していなかったのだと思います。
小さな出来事の積み重ね
ふり返ると、このころの介護は「大きな出来事」が続いたわけではありません。
徘徊が起きて、対応を考える。
失禁が起きて、紙パンツを試してみる。
そんなふうに、小さな事件が起きては解決し、また次の変化がやってくる日々でした。
介護はある日突然重くなるのではなく、こうした小さな変化の積み重ねで少しずつ形を変えていくのだと、今になって思います。
次回予告
次回は、コロナが流行していたころの「父のコロナワクチン接種」について書こうと思います。


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