こんにちは。
50代独身、実家暮らしのいさこです。
認知症になったからといって、すぐに何もできなくなるわけではありません。
父も、認知症の初期のころは、自分でトイレに行っていました。
もちろん、今振り返れば「少し変だったな」と思うことはありました。
トイレの電気を消し忘れる。
トイレをしたあと、流し忘れる。
最初は、その程度でした。
当時のわたしは、それを「認知症の症状」とはっきり結びつけていたわけではありません。
家族の手を借りずにトイレに行けていたので、まだ大丈夫だと思っていたんです。
夜中も一人でトイレに行っていた父
夜中に尿意を感じれば、父は一人でトイレに行っていました。
両親の寝室からトイレへ行くには、わたしの部屋の前を通ります。
だから夜中、父がトイレに行くと、
「今、トイレに行ったんだな」
と、足音やトイレを流す音で気づくことがありました。
そんなある夜のことです。
わたしも夜中に目が覚めて、トイレに行きました。
すると、トイレの床に水たまりがありました。
「?」
何だろうと思ってトイレットペーパーで拭いてみると、それは尿でした。
父しか考えられません。
もしかしたらパジャマや紙パンツも濡れているかもしれない。
そう思って両親の寝室へ行き、母を起こして事情を話しました。
父のパンツを確認してみると、幸い汚れてはいませんでした。
それにしても不思議でした。
水たまりは便器から離れたところにできていたのです。
どうやって、ここに尿が漏れたんだろう。
そのときは、まだ「これから大変になる」ということを、わたしは知りませんでした。
次は「便」が床に落ちていた
そして、次に起こったのは尿だけではありませんでした。
ある夜、トイレに行くと、床に茶色い丸いものが落ちていました。
「えっ?」
よく見ると、便でした。
コロコロした便が2~3個、床に落ちています。
さらに廊下を見ると、どうやらその便を踏んだ跡までありました。
量としては、たいしたことではありません。
でも、夜中にトイレの床と廊下の床を掃除する。
これが、眠いわたしにはかなりの負担でした。
掃除をしているうちに完全に目が覚めてしまい、その後眠れない。
そして朝になれば、仕事に行かなければならない。
今となっては笑い話にできることもあります。
でも、そのときは本当に大変でした。
「トイレについていく」ことにした
そんなことが続くようになり、父がトイレに行くときは、母かわたしが見守るようになりました。
家族とはいえ、トイレはとてもプライベートな場所です。
排泄しているところを見られるのは、父も嫌なんじゃないか。
わたし自身も、最初はそう思いました。
でも、トイレが汚れてしまい、あとから掃除をすることを考えると、そんなことも言っていられません。
父がトイレに向かって歩いていくと、母かわたしが後ろからついていく。
最初は、それだけでした。
「見守り」から「介助」へ
ところが、少しずつ変化が出てきました。
ズボンやパンツの上げ下げが、うまくできなくなってきたのです。
そこで、わたしたちが手伝うようになりました。
父は紙パンツを履いていましたが、最初のころは尿意や便意を感じると、自分からトイレへ向かっていました。
そのため、紙パンツが汚れることはほとんどありません。
普通のパンツと同じように、一日に一回履き替えるくらいでした。
それが、少しずつ変わっていきました。
トイレまで間に合わず、紙パンツに尿をしてしまうことが増えてきたのです。
とはいえ、紙パンツは2回分くらいの尿なら吸収してくれるので、ズボンまで漏れることはありませんでした。
ただ、汚れるたびに紙パンツを交換するので、当然コスパは悪くなります。
そこで、次に試したのが尿とりパッドでした。
尿とりパッドを使いはじめる
パッドを使うと、ゴワゴワして父が嫌がるんじゃないか。
最初はそんな心配もありました。
でも、父は思っていたほど気にしませんでした。
わたしたちが「これを使おう」と言えば、そのまま受け入れてくれました。
介護の仕事をしていたわたしは、利用者さんがパンツの中に手を入れて、パッドを自分で取ってしまうことがあるのも知っていました。
だから、それを心配していました。
でも、父にはそういうことはありませんでした。
今思えば、これには本当に助けられました。
「お父さん、トイレ行こうか!」
さらに認知症がすすんでいくと、父が自分からトイレへ行くことが少なくなってきました。
そこで、こちらからタイミングを見て声をかけるようになりました。
「お父さん、トイレ行こうか!」
そう声をかけて、トイレまで一緒に歩いて行く。
そのころには、歩く力も少しずつ衰えていました。
最初は手を支えるだけ。
それが、だんだん両手でしっかり支えなければならなくなりました。
そして、ズボンやパンツの上げ下げだけではなく、お尻を拭くこともわたしたちがするようになりました。
父のトイレは、
「見守る」から
「手伝う」へ。
そして、
「介助する」へ。
少しずつ、でも確実に変わっていきました。
そして、一番大変だったのが、「夜」でした
昼間のトイレ介助も大変でした。
でも、わたしが一番悩まされたのは、就寝中の失禁でした。
紙パンツを履いて、その中に尿とりパッドを入れていても、必ず漏れるようになっていったのです。
パジャマの上下まで濡れる。
シーツまで濡れる。
そのたびに、父を起こして着替えさせ、シーツを交換する。
それが夜中に何度も起こるようになりました。
特に冬は、本当に大変でした。
濡れたパジャマを脱がせて、温めたタオルで体を拭く。
寒いのでヒーターをつける。
風邪を引かせないように、できるだけ手早く着替えさせる。
最初のころは、
「腕を上げて」
「足を上げて」
と言えば、その通りにしてくれていました。
でも、認知症がすすむにつれて、こちらの言っていることが理解できなくなっていきました。
袖に腕を通してほしいのに、腕に力を入れて引っ込めてしまう。
足を上げてほしいのに、どうしても動かしてくれない。
介助する側からすれば、着替えさせたいだけなのに、思うようにいかない。
母もわたしも、だんだんイライラするようになりました。
そしてわたしは、父に強く叱ってしまうこともありました。
今だからこそ、正直に書きます。
父を叩いてしまったこともあります。
「言うことを聞いてくれないから」というより、介助しているのに力を入れて抵抗されることに、ついイラっとしてしまったのです。
夜中です。
母もわたしも眠い。
それなのに毎日のように失禁対応に追われる。
体力的にも、精神的にも、限界だったのだと思います。
父の腕をパシッと叩いてしまっては、
「なんで叩いちゃったんだろう」
と自己嫌悪に陥る。
本当に最悪でした。
今思えば、わたしは介護うつのような状態になっていたのだと思います。
在宅介護の現実を突きつけられた
認知症がすすんでいくと、昼間はなかなか尿が出ないのに、夜中になるとたっぷり出ることも増えていきました。
「もう、本当に何の嫌がらせなの……」
そう思ってしまうくらいでした。
しかも、一度着替えさせて、
「これでやっと寝られる」
と思った一時間後に、また大量に漏れている。
そして、また着替える。
またシーツ交換。
「これ、いったいいつまで続くんだろう」
何度そう思ったかわかりません。
介護について、頭ではわかっていたつもりでした。
でも、実際に自宅で介護をしてみると、想像していた以上に大変でした。
これが、わたしが思っていた「在宅介護」とは違う、現実の介護でした。
そして父の介護は、トイレに付き添うだけではなくなっていきました。
「排泄をさせる」ことそのものが、毎日の大きな介護になっていったのです。
次回は、そんな夜間の失禁に、わたしたちがどう対応していたのかを書きたいと思います。



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