こんにちは。
50代独身、実家暮らしのいさこです。
冬になると、父は毎年、ユニクロのヒートテックのズボン下(メンズタイツ)を愛用していました。若いころは暑がりだったのが、高齢になって寒がりになった父にとって、冬の定番でした。
そのころ、甥っ子も同じようにヒートテックを履いていました。家族で「同じものだと間違えやすいよね」と話していたので、なるべく見分けがつくように色を変えて買っていました。
父はブラックやグレー、甥っ子はダークグリーン、といった具合です。
色が違えば、さすがに間違えないだろう。そう思っていました。
ところが、ある冬の日のことです。
甥っ子が「オレのズボン下がない」と家の中を探し始めました。洗濯かごの中にもなく、たたんだ洗濯物の山にも見当たりません。
みんなで「どこにいったんだろうね」と話していたとき、ふと父を見ると、その探していたはずのズボン下を父が履いていたのです。
「あれ?それ、もしかして……」
確認してみると、やはり甥っ子のものでした。
その場ではみんなで思わず笑ってしまいました。父本人も少し照れくさそうにしていて、「同じようなものだから、わからんかった」と言っていたのを覚えています。
でも、今思うと、その”ちょっとした間違い”が少しずつ増えていった時期でもありました。
甥っ子のズボン下だけではありません。あるときは姉のズボンを履いていたこともありました。父が持っているのと色は似ているけど形がちがうズボン。なのに本人はあまり気にしていないようでした。
さらに、わたしのポロシャツを着ていたこともあります。
リビングで父がテレビを見ている姿を何気なく見たとき、「なんだか見覚えのある服だな」と思いました。しばらくして、「あっ!それわたしの!」と気づいたのです。
そんなことが一度だけではなく、何度かありました。
ふり返ってみると、父が間違えやすかったのは、自分の持ち物と似た色や似た形のものが多かったように思います。
黒、紺、グレー。男性物にも女性物にもあるような、家の中ではよくある色合いです。
どうしてそんな間違えが起きていたのか。
思い当たることがひとつあります。
当時、洗濯物を取り込むのは父の役目でした。庭に干してある洗濯物を父が取り込み、たたんで各自に戻す前の段階で、「これは自分のものだ」と思い込み、そのまま父のタンスにしまっていたのだと思います。
つまり着るときに間違えたというより、もっと前の「片づける段階」で、すでに勘違いが始まっていたのです。
当時のわたしは、そこまで深く考えていませんでした。
「また間違えてる~」
「お父さん、これは違うよ~」
そんなふうに、どちらかといえば笑い話のひとつとして受け止めていました。
けれど、認知症が進んでからふり返ると、あれは単なるうっかりではなかったのかもしれない、と思うようになりました。
自分のモノと人のモノの区別が少しあいまいになる。見慣れたはずのモノでも、判断に時間がかかる。そんな小さな変化が、すでに始まっていたのかもしれません。
その後、父はだんだん洗濯物を取り込まなくなりました。
さらに時間がたつと、自分で着替える服や下着を選ぶことが難しくなっていきました。
今日は何を着るか、それが自分のモノか、そうした日常の小さな判断が少しずつ負担になっていったのだと思います。
そうなると、不思議なことに、あの”服の取り違え”はなくなりました。
間違いがなくなったというより、自分で選んだりしまったりする機会そのものが減っていったのです。
当時は気づかなかったけれど、日常の中のほんの小さな違和感には、その人の変化がそっと表れているのかもしれません。
父が甥っ子のズボン下を履いていたあの日のことを、今でもときどき思い出します。
あのときはみんなで笑いました。少し驚いて、でもどこかあたたかくて、家族らしいひとコマでした。
今になって思えば、あれは認知症の始まりを知らせる小さなサインだったのかもしれません。
それでも、あの日の記憶は、ただ切ないだけではありません。
父が少し照れた顔をしていたこと。甥っ子が「だから探していたのに」と笑っていたこと。そんな何気ない家族の空気も、今では大切な思い出です。
認知症のサインは、必ずしも大きな出来事として現れるわけではありません。
「ちょっと変だな」
「前ならこんなことなかったのに」
そんな小さな違和感の積み重ねの中に、静かに表れてくるものだと思います。


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