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熊本地震から10年|あの日の恐怖と避難生活、今だから伝えたい教訓【体験談】

雑記

4月16日の今日、熊本地震・本震から10年を迎えます。
あの日のことは、今でもはっきりと覚えています。

前震と、本震の決定的な違い

前震が起きたとき、わたしは訪問介護の仕事で利用者さんのご自宅を訪問していました。

突然の揺れに驚きながらも、利用者さんと「大きな地震だね」と言いながら、揺れが収まるのを待ちました。

幸い利用者さん宅は大きな被害はなく(花瓶が倒れて割れたけど、利用者さんがケガすることもなく、処理して帰ることができました。)

自宅に帰ると、我が家では食器が何枚か割れていた程度で、家族は無事でした。

本震が起きたのは夜中。
自宅で、ベッドに入って眠ろうとしたその直後でした。

最初に感じたのは、揺れではありません。
「ゴーーッ」という、地響きのような音でした。

その直後、激しい揺れ。

「あ、前の地震とは違う」そう直感しました。

暗闇と恐怖の中で

揺れは長く、そして激しく続きました。
ベッドから振り落とされないよう、必死に縁につかまり耐えるしかありませんでした。

同時に停電。
一瞬で、何も見えない暗闇に包まれました。

家のどこかで家具が倒れる音。
でも、ようすは全くわかりません。

高齢の両親のことが頭をよぎりました。
すぐにようすを見に行こうとしましたが、揺れが強すぎて立つことすらできません。

四つん這いで進もうとしましたが、危険を感じて引き返しました。

「何もできない」

その無力さと恐怖は、今でも忘れられません。

外へ避難、そして地域のつながり

揺れが収まり、家族全員の無事を確認。
家の中にいるのは危険と判断し、外へ出ました。

近所の人たちも同じように外へ出てきていて、自然と近くの公園に集まりました。

一人暮らしの高齢の方にも声をかけ、みんなで一緒に移動。

その日は、公園で一夜を明かしました。

ブルーシートや飲み物を持ち寄ってくれる人。
声をかけ合い、助け合う空気。

「一人じゃない」

それだけで、どれだけ救われたかわかりません。

避難所生活の現実

翌日からは、避難所の中学校へ移動しました。

最初は車で仮眠をとりましたが、体が痛くなり体育館へ。
まだ人は少なかったものの、夜には人でいっぱいになりました。

支給される水や食料を受け取るために、何時間も体育館の外で並びました。
それでも、全員分が行き渡るとは限りません。

そして、断水

停電はこれまでも経験がありましたが、水が出ない生活は初めてでした。
これが一番つらかったです。

トイレも深刻でした。
水が流れないため、バケツの水で流す必要があります。

使ったあとは、プールに水を汲みに行き、次の人のために補充する。

それでも、徐々に汚れや臭いがひどくなっていきました。

毛布も足りず、寒さと不安で眠れない日々。
余震とスマホの緊急アラームの音が、何度も心を揺さぶりました。

それでも感じた「人の力」

そんな中で強く感じたのは、「助け合い」の大切さです。

誰もが被災者で大変な状況の中でも、自然と動く人、支え合う人がいました。

一方で、「誰かがやってくれる」という姿勢の人もいたのは正直残念でした。

この経験から強く思ったのは、

自助・共助・公助のなかでも、まずは自分、そして周りの力が何より大事だということです。

10年経った今、伝えたいこと

10年経った今でも、あの日の記憶は消えることはありません。

そして、はっきりと言えることがあります。

一番大事なのは「水」です。

水がなければ、生活は一気に崩れます。

そして、数日分の食料。
まずは「生き延びること」が最優先です。

※救援物資が届くまで時間がかかります。

これからに備えて

災害は、決して他人事ではありません。

「自分は大丈夫」
そう思っているときに、突然やってきます。

だからこそ、
・水の備蓄
・食料の確保
・最低限の防災用品

今できる備えを、少しずつでもしておくことが大切です。

最後に

あの日を忘れないこと。
そして、経験を伝えること。

それが、これからの誰かの命を守ることにつながると信じています。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。


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